全米プロゴルフ選手権の歴史
全米プロゴルフ選手権は、マスターズ・全米オープン・全英オープンとともにゴルフの四大大会のひとつに数えられる大会で、全米ゴルフ協会(PGA OF AMERICA)が主催しています。世界的に有名なゴルファーのほとんどが経験している大会で、ザ・プレーヤーズ選手権と並び世界最高レベルの賞金総額を誇ります。
また、マスターズ・全米オープン・全英オープンとは異なりプロゴルファーしか参加することができないのも全米プロゴルフ選手権の特徴です。過去5回のマスターズ・全米オープン・全英オープンの優勝者やワールドランキング上位者、前年の全米プロ選手権における上位15位の者といったゴルファーが招待されます。以前は8月中旬開催のシーズン最後の男子メジャーゴルフトーナメントでしたが、2019年大会からは5月に開催されています。
全米プロゴルフ選手権の歴史は1916年までさかのぼり、第1回大会はニューヨーク州のサイワノイ・カントリークラブで開催され、イギリスのジム・バーンズが優勝しました。なお、この大会の優勝トロフィーは、当時のスポンサーであったロッドマン・ワナメーカーの名前にちなんでワナメーカー・トロフィーと呼ばれています。アメリカ生まれのアメリカ人が初めて優勝したのは1922年のことで、ジーン・サラゼンが優勝しましたが、この頃にアメリカゴルフのレベルがイギリスに追いついたと言われています。当時はマッチプレー形式の大会でしたが、1958年大会から現在のストロークプレー形式(プレーオフは3ホールのストローク・プレー)へと変更されました。
最多優勝記録は、ウォルター・へーガン(1921年・1924年・1925年・1926年・1927年)とジャック・ニクラス(1963年・1971年・1973年・1975年・1980年)の5回で、次いでタイガー・ウッズ(1999年・2000年・2006年・2007年)の4回となっています。また、ウォルター・へーガンは4回の連続優勝記録も持っており、最年少優勝記録は1922年大会において20歳5か月22日で優勝したジーン・サラゼン、最年長優勝記録は2021年大会において50歳11か月で優勝したフィル・ミケルソンが持っています。72ホール最高スコアは、2001年優勝者のデビッド・トムズが達成した265です。なお、2021年にオーガスタナショナルで開催されるマスターズでアジア人初の優勝を果たした日本の松山秀樹は、2016年大会において4位タイの記録を残しています。
|