横綱の歴代
相撲は、日本国の国技であると認識されている競技でその歴史は既に1500年以上は存在すると考えられています。古事記や日本書紀における伝説上の話の中ですら既に似たような話が登場していることから、少なく見積もっても700年代から既にそういったものが存在することは認識されていると解釈できます。元々、その年の農作物の収穫を祝う意味合いで行われた儀式のようなものだったのですが、これが宮廷の仕事になっていって長い歴史を繋ぐようになります。こういった流れが変わったのが、鎌倉時代から戦国時代にかけてです。武士の時代に訓練の一環として行われたのが現在でも行われているような取り組みで、相撲で勝ちぬけた者が戦国武将の家臣として召し使えたという逸話も存在します。
さらに、この流れが大きく変わったのが戦国動乱の時代が終わった江戸時代です。現代の相撲の基礎的な部分がほぼ作られました。長い歴史のあった相撲をルール化して、より洗練されて競技の一環として取り入れていったのです。ここで生まれたのが、力士の位です。当時は大関が最高位として君臨していたのですが、歴代の大関を称える意味で新しく横綱という最高位が作られました。こういった背景と起源があるため、初代として考えられているのは江戸時代にいたと考えられている明石志賀之助です。ただ、上記のように江戸時代を境に現代的な相撲のルール化が進められてきたので、初代の明石志賀之助が実は横綱や縄をしめていたかどうかはわかっていません。明石志賀之助に関しては、当初本当に実在していた人物かどうかも分からなかった背景があるため、研究が現在でも進められています。明確なルール上で横綱であると言い渡されたわけではなく、そういった時代的な流れで決められたという背景が存在します。実質的な初代と考えられているのは谷風梶之助と呼ばれる人物で、この点に関しては諸説存在します。協会が、2明石志賀之助から数えると歴代で73代の横綱がいると判断していますので、あくまでもこれを基準に考えるのが一般的です。
面白いのが、親方になる条件が横綱である必要性がないという点です。親方は、確かに角界で最高位の存在であると考えられていますが、後継を育てるために必要になる条件はあくまでも小結以上です。もちろん、他の条件もありますが最高位を持っていたとしても各界を去った人もいれば、そのまま後継を育てるために奮闘し続けている人も存在します。
|